普廣寺ブログ
2025年11月13日木曜日
2025年11月8日土曜日
晋平太 逝去に際して
さきほど上記ニュースを知った。
10年近く前にUMB新潟予選に出た時のMCが彼で、年齢はたしか私と一緒で勝手に親近感を覚えていた。
当日はエントリーが少なくオーディエンスから飛び入り参加を募ってバトルしていたが、私も飛び入りでステージに立った1人。
結果、1回戦延長で負けたが今でもあのステージに立てたことは自分の誇りになっている。
負けた後、ジャッジ(審判員)を選び直す際に、晋平太さんが、じゃあ…マキ!!と指名してくれたのが今は彼との唯一の繋がりとなった。
ラップという体一つで等身大の自分を表現できる世界の最前線にい続けていただけに、とても悲しい。
あなたの想いは受け継ぎます。
R.I.P 晋平太
普廣寺 槙 合掌
2025年10月26日日曜日
2025年9月5日金曜日
布施
仏教には「無財の七施」という考え方があります。
金品や形のあるものだけではなく心や笑顔も布施行のひとつであるのです。
ついさきほどのこと
仕事のため、こどもの保育参観を早あがりして徒歩で帰宅途中、通り雨が降ってきました。傘を持たずだったので、ざっと降ってくる前に帰ろうと足早に歩を進めていると後ろから軽トラが来て止まりました。
誰かと思ったら同じ町内のおじいさん。
おい、乗ってけや!
いいからいいから!
と、運転席からドアまで開けてくれ、招いてくれました。誘われるままに乗り、俺もいまお寺のことで配りもん回ってたんだわと話しつつもすぐにお寺に到着。Uターンしてすぐに帰っていきました。
雨はすぐに止み、雲の隙間からまた晴れ間が出てきました。
これはいい布施を受けたなぁとしみじみしました。
人の親切は素直に受け取るものだ、と言われるけど、その行為が打算的であったり、見返りを求めるものであれば、それは布施ではなく貸し借りの世界。
布施はその先に執着をしない「しっぱなし」の行為です。
この気持ちを忘れないうちに書き殴りました。
2025年8月28日木曜日
無題
世界が認めた
とか
全米が泣いた
とか
名のしれた誰々が監修した
とか
そんな商品や宣伝を鵜呑みにすることなく
「私が納得した」
これに限る。
大事なものや大切な人は思いのほか近くにいたり、あったりするのだと思う。
2025年8月23日土曜日
2025年5月31日土曜日
モミジとスギナ
先日、2歳をすぎた末っ子と外遊びをしていました。
そこで、自分の目線にあったモミジの葉っぱをむしったのです。紅葉の映えるお寺にしたい私は、えっちょっやめてー!とすぐに手を払ってしまいました。
その後地面に生えているスギナ(つくしの一種で緑色のひょろひょろしたやつ)取りを何の気なしに始めた私ですが、そこでハッとしました。
子どもは目の前の物事に善悪つけずに興味や好奇心で触れたり試したりする。
大人(様々な経験をした人)はどうだろう。
これは悪いもの、これは良いもの。
つまらないもの、楽しいもの。
良し悪し、損得、上下…なんでも優劣をつけて分別してしまう。
もう少し別の言い方で子どもに伝えることができたのではと痛感した出来事でした。
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