2020年9月26日土曜日

2020年9月17日木曜日

看板設置完了!

普広寺の案内看板が信越線の踏切近くに取り付けられました。

これまで当寺のホームページは檀家さんにしかお知らせしていませんでしたが、これで多くの方の目に留まると思っています。

うちのお寺ならではの色を出していきます!

これからも宜しくお願いします。

テレビ放映

明日の午前9時55分より、BSNの新潟名刹紀行にて当山が放送されます。

住職が緊張した面持ちで何かしら話すと思います。

是非、ご覧下さい!

2020年9月8日火曜日

お布施

布を施すと書いて、布施

文字通り、仏教発祥の地インドでは修行者に衣類となる布切れを施すことによって自身の徳を積み、またそれ自体が行となった。

布施をされた者は、その功徳を広く回向(えこう、回し向けること)すべく修行に打ち込んだ。

物質的に豊かになった現代では、布施=金銭の意味合いで捉えられることが多いが、そればかりではない。

今日、月参りに伺ったお宅ではいつもこのように子どもたちに、とお菓子を頂く。

うちの寺から程近いお宅で、数年前に息子さんを、去年の暮れに旦那さんを亡くされた。今は奥さんお一人で住まわれている。

それでも変わらずにうちの子どもたちにと毎回何かしらご用意くださる。

目に見えないが、その気持ちに大きな、大きな布施の心が観える。

その方とお話をしていると、主人が大切にしていた植木を切ったとか、鉢物を人にあげたとか、大量の古本を引き取ってもらったとか、いわゆる「終活」に向けて少しずつ動いている様が伺える。

ご主人がご健在の頃は毎月必ず一度は呑んで食べてのひとときがあった。それも今はない。
心情的にはもちろん寂しいが、私たちも日々変化をしている。暑い夏から少しずつ秋の気配に移り変わるのを、我々は全身で感じるように、我々に起こる全ての変わりようを悲しんでばかりいてはいけない。

悲しみに暮れて、今の時間をおろそかにしてはいけない。

奥さま

お菓子にビール、おいしく頂きます✨

2020年9月6日日曜日

妄想、想像、そして、現実

過去に起きたことを反芻して何度も自身を責め立てることを妄想。

まだ起きていないことに対して期待したり不安になることを想像。

今、起きていることを事実、現実という。

そして、悩みの生まれる種はこの妄想や想像にある。

全ての悩みは対人関係から生まれ、また、全ての喜びも対人関係から生まれる。

逆に言うと、対人関係を絶った人は悩みや心配からは遠ざかることができるが、喜びや愛おしさからも遠ざかることになる。

現実では、悩みや苦しみというものはカタチとして存在せず、自分の中から生まれている(自分が作り出している)ということだ。

元々はなんともなかった、ふと頭の中に浮かび上がってきたものに苦という着色をして、自分でそれを育て上げてしまってはいないだろうか?

それもすでに過ぎ去っているものに対して。

楽に生きるのは、本当に難しい。

私も苦悩と自省の日々だ。

苦しい自分も悩みが止まらない自分も、自分だ。

疲れた人は、自分に

お疲れさま

と伝えてみよう。

みんな、誰も頑張って生きている。

絶対に死んではいけない。

2020年9月3日木曜日

ハート

おはようございます。

台風の影響か朝から風が強いです。

子どもたちを保育園に送る途中、ふと池の睡蓮群をみると、♥️の形になっているではありませんか!

本当に暑い日が続きますが、どうか皆さまが健やかに過ごされますように。

2020年8月30日日曜日

学びを止めない

コロナウイルスが蔓延し始めて早半年が過ぎた。

当寺院も御多分に洩れず、その影響を受けている。
飲食店や旅行業に従事する方々はその比ではないだろう。

人々が変化を余儀なくされている中で、寺も今の時代にあった変化をしていかなくては、とは常々思うものの、動けない自分がいる。

少し先を考えて、失敗したらとか損をしたらとか、そんな想いがブレーキをかけている。かけているのは紛れもなく自分自身なんだけども。

経験したこと全てを自分の糧にすると決めた時から失敗という概念は消える。

学ぶ姿勢を止めずに、今日も頑張っていきましょう。

画像は7ヶ月にして新聞を熟読する長男。県内ニュースが特に好きな様子(笑)

2020年8月26日水曜日

懐かしい写真

昔の写真が出てきました。

私が3歳頃の写真@実家の寺

真ん中の子です。

中央に写っている祖父も、私が高校生の時分に亡くなりました。

時の流れを感じ、懐かしくも切ない気持ちになりました。

過去にすがっても、未来を望んでも、いまここにあるのは、この瞬間。

昔のことはほどほどにして、今を生きよう。

2020年8月25日火曜日

移り変わり

さて、あっという間に今年もお盆が去っていきました。

住職としては一年でもっとも忙しく(汗をかかねばならないという意味で)、朝から晩までフル稼働の毎日でした💦

去年のような灼熱の陽射しの日々ではなく、時に曇り、時に小雨、たまに晴天といったバランスの取れたお盆週間だったと思います🌞🌥️☂️

さて、ここのお寺にお世話になって10年がすぎたわけですが、ようやく理解できたことがあります。

それは、ものごとは移り変わっていくということ。

え、そんなこと?と思われるかも知れませんが、そんなことが今まで理解できなかったのです。

毎日のようにお世話になっていた近所のおじいさんが日に日に衰えて亡くなったり、子どもが昨日できなかったことが翌日できたり。自分の顔も少し年季がはいってきたり…苦笑

全ては日々変化しているということです。その中には変わらないという変化も含まれます。

今この瞬間を大切に、今日も過ごして参りましょう👐

2020年6月20日土曜日

寝ない子に思うこと

天気もよく、コロナ禍も落ち着いてきたのでドライブへ

刈羽の農村公園というナビでたまたま近場にヒットした公園へ

遊具も新しいし、広さもあって、水場も日陰もあるし、中々良いところだった

日中しっかりと遊んだので、帰宅し昼寝させようとするも子どもは敏感に親の企みを察し、寝ようとしない

そりゃそうだ。

誰だって自分のタイミングで行動したいんだ

寝たかったら寝るし、眠くなかったら寝ない

他人にとやかく言われても、自分のやりたいようにやればいい

わかってはいる

わかってはいるけれど、今は他の人が教えなくてはいけないことがたくさんある

寝なかったら夕飯前に眠くなってしまうし、そこで寝たら今度は夜寝れなくなる

そうすると翌朝起きれない

寝起きが悪いと朝ごはんも進まない

保育園でも元気がでない

風邪を引いたりする

という悪循環

所詮、自分のことではないから当人に任せることなのかもしれないけど、最初は教えないとわからない

子どもが平気で虫を殺している姿を見て、残酷だと思うけど、子どもは殺すことが残酷だというのが「わからない」のだ

親ならなおさら強く当たってしまうこともある。子育ての本には、個性を尊重して見守って自立を促して…みたいなこと書いてあるけど、ほんとにそうか?と思ってしまう

子育てにおいては叱ってもいけないし、褒めてもいけない。賞罰による教育を否定した、とアドラー(ギリシャの哲学者)は語っていたそう。自分もその考えに共感しそのようにやっている(つもり)が、それを意識するのに疲れてしまった

叱ることも褒めることも時には必要だし、大切なことなのではないかと思う

自分は叱るとは違う「怒る」という感情を使うことで相手を支配しようとするので、自省しなければならない

と、寝ない子どもたちに苛立ちを隠せず、自戒の意も込めて投稿


画像は農村公園近くに立っていた大きな木🌳壮大でした。

2020年6月17日水曜日

梅酢ジュース

昨夕、子どもたちと一緒に梅酢ジュースを作りました。

以下、覚書

梅 3kg
蜂蜜 1kg
氷砂糖 1kg
黒糖 600g
りんご酢 500ml
りんご黒酢 500ml

梅はもいだら2~3日のうちにへたをとってよく洗い、水につけておく。その後よく水気を取り、冷凍する。冷凍するのは梅の成分が抽出されやすい?とか。

ビンは8リットル用を使用。よくアルコールで拭いておく。

梅1kgいれるごとに砂糖を入れ、梅と砂糖が段々になるようにする。最後にりんご酢と蜂蜜を流し入れる。

一日経ったのが、写真のもの。

3ヶ月くらいで飲めるようになるとか。

とある檀家さんから先日頂いたものが酸味が強かったけどかなり美味しかったので、今回は酢を大量にいれました🍎

楽しみです👍

2020年6月13日土曜日

いただきもの

さきほど村の檀家さんから

採れたての野菜いるけー?

との電話


頂きます!!


うちから車で1分ほどの檀家さんの畑へGo!

そして着いたとほぼ同時に乗ってきた軽トラがガス欠…

まさかガソリンまで頂くことになるとは😢

色々とごちそうさまでした🙇


こちらが頂いた自然の恵み🥔🥒🥬


青梅は昨日実家でもいできたもの
梅酢ジュースにしてみます!

2020年5月30日土曜日

かきつばた

晴天の5月最後の土曜日

うちから車で10分ほどの夢の森公園へ行ってきました🌱

やわらかで心地よい陽の光を浴びて、今日も幸せの一日でした

2020年5月23日土曜日

看板、自作す

コロナウイルスの影響でなくとも、ステイホーム!と言われなくとも、寺が職場であり道場なので、大体はうちにいます。

つい最近、山門を下りたところの砂利の駐車場が整備されました。

これを機に看板を立てようと一念発起し、廃材を利用し作ってみました。

どうでしょうか?

当初、第2駐車場の看板しか作る予定がなかったのですが、とある檀家さんから第1も作らんばだこって、とご助言をいただきました。ただ、第2駐車場で全精力を使い果たしたので、第1はさっと手書きで終わらしたのでした。

しかし、自分で考えて作ったものって愛着が湧きますね。作るにはどうするか、何が必要かも調べなきゃいけない。愛(いとおしさ)というのは最後に(完成後に)感じるものなのかもしれないですね。誰かに作ってもらった(用意してもらった)ものや環境に愛はきっと感じないでしょう。そこから自分で手を加えて愛を実感していく、みたいな。だからしんどいですよ、この作業は。

簡単には言えないですね、愛(笑)

看板一つでこんなことを言うつもりなかったのですが、これからもご愛読をお願いします✨

2020年5月22日金曜日

自死と他死

↑自殺と他殺、という意味ではありません。

己の死と他者の死、ということです。

死を忌み嫌う人は多くいると思います。

死ぬってなんだろう、痛いのかな、死後の世界ってあるのかな、生まれ変わるってなに?、天国と地獄ってどこ?…

私も幼少期から漠然と悶々と死について考えていました。

寺に生まれ、子どもながらにも、大切な人を亡くした悲しみにくれる檀家さんを見てきました。

死について考えることも至極自然だったように今は思えます。頭の中の死というものは負のイメージばかりでした。

どうせ死ぬのなら生きていても意味なんてないのでは?

自殺願望があったわけではないけれど、いずれやってくる(だろう)その瞬間に怯えていたのです。

そして時は経ち、幼少期の頃と大して変わらない私も住職となり、たくさんの方を導師として見送って参りました。

毎回、もちろん参列される方が違うので、その悲しさや葬儀の形、規模も千差万別です。若くして亡くなった人、百歳を超えて亡くなった人、突然倒れて亡くなった人。

何一つとして同じ別れはありません 。

しかし、見送る想いには共通することがあるのではないかと思います。

どうか安らかにお休みください。
今までお疲れさまでした。
今日からしっかりと生きていきます。

願い、祈り、誓い。

この想いはみなさんが持ってらっしゃるということです。

自分の死はわからないけれど、他者の死は知ることができる(立ち会うことができる)のです。なので、他者の死から我々は死について学ぶことができるのです。

今日もいつ何時別れが訪れるかもわかりません。

積極的に過ごして参りましょう。

2020年3月15日日曜日

ちえ

長女に、ちえってなぁに?と聞かれました。


私 : んー、、、考える力?


長女 : 納豆がネバネバするのはなんで?って考えること?


私 : そうそう、そんな感じだね!


妻 : それはただの疑問じゃない?


私 : そうだね、、、


「知恵とは」で検索したところ


物事の筋道がわかり、うまく処理していける能力


とのことでした。


Googleさんの知恵を借りた、というお話



画像は先日いとこ家族が来た時に人生初のカップヌードルを食べた時の様子

相当おいしかったようです🍜

2020年2月27日木曜日

ブロッコリー

子どもを保育園に送る途中のこと


ブロッコリー見つけた!🥦


毎日、モノの見方の多様性に気付かせてくれます。

2020年2月25日火曜日

出産

更新がまばらなのも当たり前になってきました。

さて、唐突ですが、1月に第3子が産まれました👶

そして、これで姉弟3人すべての出産に立ち会うことができました。


お腹の中で母親の保護を受けながら少しずつ、でも着実に育ってきた赤ちゃんが今だとばかりに外の世界に出てこようとします。まさに人生最初にして最大の難関です。体力もなく、器官も未熟な状態なのにいきなりこの試練。よく無事に出てきてくれました。

母親も我が子を産もうとまさに必死です。陣痛と次の陣痛までのほんのわずかな休息。そして再三の激痛。看護師さんから声をかけてもらいながら、ようやくその時が訪れました。ぐったりとか疲れ切ったとか、そんな言葉では言い表せないほどの疲労感だったと思います。
母は強しって言葉にはきちんと裏付けがあるんだなということがよくわかりました。

この瞬間、この世界に一人の新たな命が誕生したんだと思うと、奇跡にも似たような感覚になって涙がこぼれました。

その後すぐに赤ちゃんは母親のそばに置かれます。泣き叫ぶ赤ちゃんと無事を確認し安堵の表情を見せる母親。

この時点で母はきっとすでに母親なのでしょう。
父はきっとこれから父親という自覚をつけていかなくてはならないのでしょう。それくらい男と女には感覚や感性や愛の深さの違いがあるような気がします。産まれたばかりの赤ちゃんに寄り添う母を見てそんなことを思ったりもしました。

勝ち負けではないけれど、母親には勝てるはずがないのがよくわかります(笑)

上の子たちが寝息を立ててようやく寝てくれました。早く寝ないと明日がまた大変だとわかっていながらも、産まれた日の感覚を少しでも覚えているうちにと走り書きました。

さて

おやすみなさい。

2020年1月14日火曜日

どんど焼き(塞ノ神)

12日、その年の五穀豊穣、無病息災を祈願する村のお祭り「どんど焼き」が執り行われました。

画像の通り、雪がまったくありません。
少しくらいあってほしかったな。

今年も目まぐるしく過ぎていきそうだ。

みんなが大病なく過ごせますように。

2020年1月5日日曜日

明けましておめでとうございます


ブログ更新をさぼって早数ヶ月…

定期的に見てくれている方、本当に申し訳ありません。

今年の目標のひとつ。

定期更新(笑)


さて、前回のブログにも書きましたが
昨年は先代住職の逝去や、お世話になった門前のおじいさんが
亡くなったりと、立て続けに寂しいことがありました。

晴れの日があれば雨の日もある。
曇りの日もあれば大雪の日もある。
止まない雨はなく晴れの日ばかりも続かない。

そんな一日たりとも同じ日はない
今日を生きていく他にないのです。

私は般若心経の和訳を、過去や未来は
人の都合に合わせた産物で、いつも真実は目に映る今しかない。
深刻になることなく真剣に生きていくこと
それが大切です、とお話ししています。

2020年も皆様にとって良い年でありますように。

色々ありますが、しっかりと生きていきましょう。

今年もよろしくお願い致します。