布を施すと書いて、布施
文字通り、仏教発祥の地インドでは修行者に衣類となる布切れを施すことによって自身の徳を積み、またそれ自体が行となった。
布施をされた者は、その功徳を広く回向(えこう、回し向けること)すべく修行に打ち込んだ。
物質的に豊かになった現代では、布施=金銭の意味合いで捉えられることが多いが、そればかりではない。
今日、月参りに伺ったお宅ではいつもこのように子どもたちに、とお菓子を頂く。
うちの寺から程近いお宅で、数年前に息子さんを、去年の暮れに旦那さんを亡くされた。今は奥さんお一人で住まわれている。
それでも変わらずにうちの子どもたちにと毎回何かしらご用意くださる。
目に見えないが、その気持ちに大きな、大きな布施の心が観える。
その方とお話をしていると、主人が大切にしていた植木を切ったとか、鉢物を人にあげたとか、大量の古本を引き取ってもらったとか、いわゆる「終活」に向けて少しずつ動いている様が伺える。
ご主人がご健在の頃は毎月必ず一度は呑んで食べてのひとときがあった。それも今はない。
心情的にはもちろん寂しいが、私たちも日々変化をしている。暑い夏から少しずつ秋の気配に移り変わるのを、我々は全身で感じるように、我々に起こる全ての変わりようを悲しんでばかりいてはいけない。
悲しみに暮れて、今の時間をおろそかにしてはいけない。
奥さま
お菓子にビール、おいしく頂きます✨
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