2020年5月23日土曜日

看板、自作す

コロナウイルスの影響でなくとも、ステイホーム!と言われなくとも、寺が職場であり道場なので、大体はうちにいます。

つい最近、山門を下りたところの砂利の駐車場が整備されました。

これを機に看板を立てようと一念発起し、廃材を利用し作ってみました。

どうでしょうか?

当初、第2駐車場の看板しか作る予定がなかったのですが、とある檀家さんから第1も作らんばだこって、とご助言をいただきました。ただ、第2駐車場で全精力を使い果たしたので、第1はさっと手書きで終わらしたのでした。

しかし、自分で考えて作ったものって愛着が湧きますね。作るにはどうするか、何が必要かも調べなきゃいけない。愛(いとおしさ)というのは最後に(完成後に)感じるものなのかもしれないですね。誰かに作ってもらった(用意してもらった)ものや環境に愛はきっと感じないでしょう。そこから自分で手を加えて愛を実感していく、みたいな。だからしんどいですよ、この作業は。

簡単には言えないですね、愛(笑)

看板一つでこんなことを言うつもりなかったのですが、これからもご愛読をお願いします✨

2020年5月22日金曜日

自死と他死

↑自殺と他殺、という意味ではありません。

己の死と他者の死、ということです。

死を忌み嫌う人は多くいると思います。

死ぬってなんだろう、痛いのかな、死後の世界ってあるのかな、生まれ変わるってなに?、天国と地獄ってどこ?…

私も幼少期から漠然と悶々と死について考えていました。

寺に生まれ、子どもながらにも、大切な人を亡くした悲しみにくれる檀家さんを見てきました。

死について考えることも至極自然だったように今は思えます。頭の中の死というものは負のイメージばかりでした。

どうせ死ぬのなら生きていても意味なんてないのでは?

自殺願望があったわけではないけれど、いずれやってくる(だろう)その瞬間に怯えていたのです。

そして時は経ち、幼少期の頃と大して変わらない私も住職となり、たくさんの方を導師として見送って参りました。

毎回、もちろん参列される方が違うので、その悲しさや葬儀の形、規模も千差万別です。若くして亡くなった人、百歳を超えて亡くなった人、突然倒れて亡くなった人。

何一つとして同じ別れはありません 。

しかし、見送る想いには共通することがあるのではないかと思います。

どうか安らかにお休みください。
今までお疲れさまでした。
今日からしっかりと生きていきます。

願い、祈り、誓い。

この想いはみなさんが持ってらっしゃるということです。

自分の死はわからないけれど、他者の死は知ることができる(立ち会うことができる)のです。なので、他者の死から我々は死について学ぶことができるのです。

今日もいつ何時別れが訪れるかもわかりません。

積極的に過ごして参りましょう。

2020年3月15日日曜日

ちえ

長女に、ちえってなぁに?と聞かれました。


私 : んー、、、考える力?


長女 : 納豆がネバネバするのはなんで?って考えること?


私 : そうそう、そんな感じだね!


妻 : それはただの疑問じゃない?


私 : そうだね、、、


「知恵とは」で検索したところ


物事の筋道がわかり、うまく処理していける能力


とのことでした。


Googleさんの知恵を借りた、というお話



画像は先日いとこ家族が来た時に人生初のカップヌードルを食べた時の様子

相当おいしかったようです🍜

2020年2月27日木曜日

ブロッコリー

子どもを保育園に送る途中のこと


ブロッコリー見つけた!🥦


毎日、モノの見方の多様性に気付かせてくれます。

2020年2月25日火曜日

出産

更新がまばらなのも当たり前になってきました。

さて、唐突ですが、1月に第3子が産まれました👶

そして、これで姉弟3人すべての出産に立ち会うことができました。


お腹の中で母親の保護を受けながら少しずつ、でも着実に育ってきた赤ちゃんが今だとばかりに外の世界に出てこようとします。まさに人生最初にして最大の難関です。体力もなく、器官も未熟な状態なのにいきなりこの試練。よく無事に出てきてくれました。

母親も我が子を産もうとまさに必死です。陣痛と次の陣痛までのほんのわずかな休息。そして再三の激痛。看護師さんから声をかけてもらいながら、ようやくその時が訪れました。ぐったりとか疲れ切ったとか、そんな言葉では言い表せないほどの疲労感だったと思います。
母は強しって言葉にはきちんと裏付けがあるんだなということがよくわかりました。

この瞬間、この世界に一人の新たな命が誕生したんだと思うと、奇跡にも似たような感覚になって涙がこぼれました。

その後すぐに赤ちゃんは母親のそばに置かれます。泣き叫ぶ赤ちゃんと無事を確認し安堵の表情を見せる母親。

この時点で母はきっとすでに母親なのでしょう。
父はきっとこれから父親という自覚をつけていかなくてはならないのでしょう。それくらい男と女には感覚や感性や愛の深さの違いがあるような気がします。産まれたばかりの赤ちゃんに寄り添う母を見てそんなことを思ったりもしました。

勝ち負けではないけれど、母親には勝てるはずがないのがよくわかります(笑)

上の子たちが寝息を立ててようやく寝てくれました。早く寝ないと明日がまた大変だとわかっていながらも、産まれた日の感覚を少しでも覚えているうちにと走り書きました。

さて

おやすみなさい。

2020年1月14日火曜日

どんど焼き(塞ノ神)

12日、その年の五穀豊穣、無病息災を祈願する村のお祭り「どんど焼き」が執り行われました。

画像の通り、雪がまったくありません。
少しくらいあってほしかったな。

今年も目まぐるしく過ぎていきそうだ。

みんなが大病なく過ごせますように。

2020年1月5日日曜日

明けましておめでとうございます


ブログ更新をさぼって早数ヶ月…

定期的に見てくれている方、本当に申し訳ありません。

今年の目標のひとつ。

定期更新(笑)


さて、前回のブログにも書きましたが
昨年は先代住職の逝去や、お世話になった門前のおじいさんが
亡くなったりと、立て続けに寂しいことがありました。

晴れの日があれば雨の日もある。
曇りの日もあれば大雪の日もある。
止まない雨はなく晴れの日ばかりも続かない。

そんな一日たりとも同じ日はない
今日を生きていく他にないのです。

私は般若心経の和訳を、過去や未来は
人の都合に合わせた産物で、いつも真実は目に映る今しかない。
深刻になることなく真剣に生きていくこと
それが大切です、とお話ししています。

2020年も皆様にとって良い年でありますように。

色々ありますが、しっかりと生きていきましょう。

今年もよろしくお願い致します。