2020年6月20日土曜日

寝ない子に思うこと

天気もよく、コロナ禍も落ち着いてきたのでドライブへ

刈羽の農村公園というナビでたまたま近場にヒットした公園へ

遊具も新しいし、広さもあって、水場も日陰もあるし、中々良いところだった

日中しっかりと遊んだので、帰宅し昼寝させようとするも子どもは敏感に親の企みを察し、寝ようとしない

そりゃそうだ。

誰だって自分のタイミングで行動したいんだ

寝たかったら寝るし、眠くなかったら寝ない

他人にとやかく言われても、自分のやりたいようにやればいい

わかってはいる

わかってはいるけれど、今は他の人が教えなくてはいけないことがたくさんある

寝なかったら夕飯前に眠くなってしまうし、そこで寝たら今度は夜寝れなくなる

そうすると翌朝起きれない

寝起きが悪いと朝ごはんも進まない

保育園でも元気がでない

風邪を引いたりする

という悪循環

所詮、自分のことではないから当人に任せることなのかもしれないけど、最初は教えないとわからない

子どもが平気で虫を殺している姿を見て、残酷だと思うけど、子どもは殺すことが残酷だというのが「わからない」のだ

親ならなおさら強く当たってしまうこともある。子育ての本には、個性を尊重して見守って自立を促して…みたいなこと書いてあるけど、ほんとにそうか?と思ってしまう

子育てにおいては叱ってもいけないし、褒めてもいけない。賞罰による教育を否定した、とアドラー(ギリシャの哲学者)は語っていたそう。自分もその考えに共感しそのようにやっている(つもり)が、それを意識するのに疲れてしまった

叱ることも褒めることも時には必要だし、大切なことなのではないかと思う

自分は叱るとは違う「怒る」という感情を使うことで相手を支配しようとするので、自省しなければならない

と、寝ない子どもたちに苛立ちを隠せず、自戒の意も込めて投稿


画像は農村公園近くに立っていた大きな木🌳壮大でした。

2020年6月17日水曜日

梅酢ジュース

昨夕、子どもたちと一緒に梅酢ジュースを作りました。

以下、覚書

梅 3kg
蜂蜜 1kg
氷砂糖 1kg
黒糖 600g
りんご酢 500ml
りんご黒酢 500ml

梅はもいだら2~3日のうちにへたをとってよく洗い、水につけておく。その後よく水気を取り、冷凍する。冷凍するのは梅の成分が抽出されやすい?とか。

ビンは8リットル用を使用。よくアルコールで拭いておく。

梅1kgいれるごとに砂糖を入れ、梅と砂糖が段々になるようにする。最後にりんご酢と蜂蜜を流し入れる。

一日経ったのが、写真のもの。

3ヶ月くらいで飲めるようになるとか。

とある檀家さんから先日頂いたものが酸味が強かったけどかなり美味しかったので、今回は酢を大量にいれました🍎

楽しみです👍

2020年6月13日土曜日

いただきもの

さきほど村の檀家さんから

採れたての野菜いるけー?

との電話


頂きます!!


うちから車で1分ほどの檀家さんの畑へGo!

そして着いたとほぼ同時に乗ってきた軽トラがガス欠…

まさかガソリンまで頂くことになるとは😢

色々とごちそうさまでした🙇


こちらが頂いた自然の恵み🥔🥒🥬


青梅は昨日実家でもいできたもの
梅酢ジュースにしてみます!

2020年5月30日土曜日

かきつばた

晴天の5月最後の土曜日

うちから車で10分ほどの夢の森公園へ行ってきました🌱

やわらかで心地よい陽の光を浴びて、今日も幸せの一日でした

2020年5月23日土曜日

看板、自作す

コロナウイルスの影響でなくとも、ステイホーム!と言われなくとも、寺が職場であり道場なので、大体はうちにいます。

つい最近、山門を下りたところの砂利の駐車場が整備されました。

これを機に看板を立てようと一念発起し、廃材を利用し作ってみました。

どうでしょうか?

当初、第2駐車場の看板しか作る予定がなかったのですが、とある檀家さんから第1も作らんばだこって、とご助言をいただきました。ただ、第2駐車場で全精力を使い果たしたので、第1はさっと手書きで終わらしたのでした。

しかし、自分で考えて作ったものって愛着が湧きますね。作るにはどうするか、何が必要かも調べなきゃいけない。愛(いとおしさ)というのは最後に(完成後に)感じるものなのかもしれないですね。誰かに作ってもらった(用意してもらった)ものや環境に愛はきっと感じないでしょう。そこから自分で手を加えて愛を実感していく、みたいな。だからしんどいですよ、この作業は。

簡単には言えないですね、愛(笑)

看板一つでこんなことを言うつもりなかったのですが、これからもご愛読をお願いします✨

2020年5月22日金曜日

自死と他死

↑自殺と他殺、という意味ではありません。

己の死と他者の死、ということです。

死を忌み嫌う人は多くいると思います。

死ぬってなんだろう、痛いのかな、死後の世界ってあるのかな、生まれ変わるってなに?、天国と地獄ってどこ?…

私も幼少期から漠然と悶々と死について考えていました。

寺に生まれ、子どもながらにも、大切な人を亡くした悲しみにくれる檀家さんを見てきました。

死について考えることも至極自然だったように今は思えます。頭の中の死というものは負のイメージばかりでした。

どうせ死ぬのなら生きていても意味なんてないのでは?

自殺願望があったわけではないけれど、いずれやってくる(だろう)その瞬間に怯えていたのです。

そして時は経ち、幼少期の頃と大して変わらない私も住職となり、たくさんの方を導師として見送って参りました。

毎回、もちろん参列される方が違うので、その悲しさや葬儀の形、規模も千差万別です。若くして亡くなった人、百歳を超えて亡くなった人、突然倒れて亡くなった人。

何一つとして同じ別れはありません 。

しかし、見送る想いには共通することがあるのではないかと思います。

どうか安らかにお休みください。
今までお疲れさまでした。
今日からしっかりと生きていきます。

願い、祈り、誓い。

この想いはみなさんが持ってらっしゃるということです。

自分の死はわからないけれど、他者の死は知ることができる(立ち会うことができる)のです。なので、他者の死から我々は死について学ぶことができるのです。

今日もいつ何時別れが訪れるかもわかりません。

積極的に過ごして参りましょう。

2020年3月15日日曜日

ちえ

長女に、ちえってなぁに?と聞かれました。


私 : んー、、、考える力?


長女 : 納豆がネバネバするのはなんで?って考えること?


私 : そうそう、そんな感じだね!


妻 : それはただの疑問じゃない?


私 : そうだね、、、


「知恵とは」で検索したところ


物事の筋道がわかり、うまく処理していける能力


とのことでした。


Googleさんの知恵を借りた、というお話



画像は先日いとこ家族が来た時に人生初のカップヌードルを食べた時の様子

相当おいしかったようです🍜