2020年10月17日土曜日

日日是好日

小春日和のこの時季、寺の近くを散歩しているとキンモクセイの花がきれいな彩りをみせている。

近くを通っても風向きのせいなのか中々香らないけども、玄関先や墓地回りなんかにいるとほんのり甘い、いい香りがふっと漂ってくる。

境内地に自生する栗や銀杏、胡桃などの自然の恵みなんかもありがたい。

そんな秋口の少し感傷的にもなりがちな季節と、春に向かう雪解けの時期が好きだ。

私の生まれは真冬だけども(笑)


ごく最近、身近な人が声を荒げているのを目の当たりにした。自分が他人に怒っている姿というのはこうも醜いものなのかと改めて気付かされた。

他人の振り見て我が振り直せ、だ。

自分は大丈夫、間違っていない、なんて思い始めたら危険だ。

傲らずに日々の自省が必要ですね。

2020年10月8日木曜日

祖母の死

先月28日、祖母が亡くなりました。

私たち孫とはよく遊んでくれたり、ごはんを作ってくれたりしました。学校から帰ってきたあとのおやつの味噌おにぎりの味は今でもよく覚えています。

数年前に施設に入所し、晩年はコロナの影響や日々の忙しさにかまけて、顔を見に行くことすらできなかったこと、申し訳なく思っています。

色々あった幼少期でしたが、可愛がって大切に育ててくれてありがとうございました。

そして、拙くも私も親になりました。

あなたが私に注いでくれた愛情を今度はうちの子どもたちに回し向けていこうと思います。

ゆっくりお休みください。

さようなら。

2020年9月26日土曜日

2020年9月17日木曜日

看板設置完了!

普広寺の案内看板が信越線の踏切近くに取り付けられました。

これまで当寺のホームページは檀家さんにしかお知らせしていませんでしたが、これで多くの方の目に留まると思っています。

うちのお寺ならではの色を出していきます!

これからも宜しくお願いします。

テレビ放映

明日の午前9時55分より、BSNの新潟名刹紀行にて当山が放送されます。

住職が緊張した面持ちで何かしら話すと思います。

是非、ご覧下さい!

2020年9月8日火曜日

お布施

布を施すと書いて、布施

文字通り、仏教発祥の地インドでは修行者に衣類となる布切れを施すことによって自身の徳を積み、またそれ自体が行となった。

布施をされた者は、その功徳を広く回向(えこう、回し向けること)すべく修行に打ち込んだ。

物質的に豊かになった現代では、布施=金銭の意味合いで捉えられることが多いが、そればかりではない。

今日、月参りに伺ったお宅ではいつもこのように子どもたちに、とお菓子を頂く。

うちの寺から程近いお宅で、数年前に息子さんを、去年の暮れに旦那さんを亡くされた。今は奥さんお一人で住まわれている。

それでも変わらずにうちの子どもたちにと毎回何かしらご用意くださる。

目に見えないが、その気持ちに大きな、大きな布施の心が観える。

その方とお話をしていると、主人が大切にしていた植木を切ったとか、鉢物を人にあげたとか、大量の古本を引き取ってもらったとか、いわゆる「終活」に向けて少しずつ動いている様が伺える。

ご主人がご健在の頃は毎月必ず一度は呑んで食べてのひとときがあった。それも今はない。
心情的にはもちろん寂しいが、私たちも日々変化をしている。暑い夏から少しずつ秋の気配に移り変わるのを、我々は全身で感じるように、我々に起こる全ての変わりようを悲しんでばかりいてはいけない。

悲しみに暮れて、今の時間をおろそかにしてはいけない。

奥さま

お菓子にビール、おいしく頂きます✨

2020年9月6日日曜日

妄想、想像、そして、現実

過去に起きたことを反芻して何度も自身を責め立てることを妄想。

まだ起きていないことに対して期待したり不安になることを想像。

今、起きていることを事実、現実という。

そして、悩みの生まれる種はこの妄想や想像にある。

全ての悩みは対人関係から生まれ、また、全ての喜びも対人関係から生まれる。

逆に言うと、対人関係を絶った人は悩みや心配からは遠ざかることができるが、喜びや愛おしさからも遠ざかることになる。

現実では、悩みや苦しみというものはカタチとして存在せず、自分の中から生まれている(自分が作り出している)ということだ。

元々はなんともなかった、ふと頭の中に浮かび上がってきたものに苦という着色をして、自分でそれを育て上げてしまってはいないだろうか?

それもすでに過ぎ去っているものに対して。

楽に生きるのは、本当に難しい。

私も苦悩と自省の日々だ。

苦しい自分も悩みが止まらない自分も、自分だ。

疲れた人は、自分に

お疲れさま

と伝えてみよう。

みんな、誰も頑張って生きている。

絶対に死んではいけない。