↑自殺と他殺、という意味ではありません。
己の死と他者の死、ということです。
死を忌み嫌う人は多くいると思います。
死ぬってなんだろう、痛いのかな、死後の世界ってあるのかな、生まれ変わるってなに?、天国と地獄ってどこ?…
私も幼少期から漠然と悶々と死について考えていました。
寺に生まれ、子どもながらにも、大切な人を亡くした悲しみにくれる檀家さんを見てきました。
死について考えることも至極自然だったように今は思えます。頭の中の死というものは負のイメージばかりでした。
どうせ死ぬのなら生きていても意味なんてないのでは?
自殺願望があったわけではないけれど、いずれやってくる(だろう)その瞬間に怯えていたのです。
そして時は経ち、幼少期の頃と大して変わらない私も住職となり、たくさんの方を導師として見送って参りました。
毎回、もちろん参列される方が違うので、その悲しさや葬儀の形、規模も千差万別です。若くして亡くなった人、百歳を超えて亡くなった人、突然倒れて亡くなった人。
何一つとして同じ別れはありません 。
しかし、見送る想いには共通することがあるのではないかと思います。
どうか安らかにお休みください。
今までお疲れさまでした。
今日からしっかりと生きていきます。
願い、祈り、誓い。
この想いはみなさんが持ってらっしゃるということです。
自分の死はわからないけれど、他者の死は知ることができる(立ち会うことができる)のです。なので、他者の死から我々は死について学ぶことができるのです。
今日もいつ何時別れが訪れるかもわかりません。
積極的に過ごして参りましょう。
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