2025年3月14日金曜日

お茶飲み話

子どもにも自分が認められたいという欲求があるんです。優しい言葉で接してあげれば自分が大切にされているんだなということを覚えます。

どうか愛情を注いであげてくださいね。


門前のおばあちゃん宅にお茶飲みに行ってたくさん教えてもらいました。

救われました。
ありがとうございました。

2025年3月11日火曜日

供養の読経をあげました

東日本大震災から14年が経ちます。

同時刻に当山本堂にて読経供養を一巻。

うちの子どもたちも合掌礼拝し、焼香。

誰の身にも起こり得る自然災害や人災ですが、願わくは、私と私以外の全ての有縁無縁の方々が、無事に成仏まで生きることができますように。

普広寺 住職 合掌

2025年3月7日金曜日

歯磨き

2歳過ぎた男の子の歯磨きのひとこま

今朝のこと(大体毎日だが)

自分ではまだちゃんと磨けないのでこちら側(大人)が仕上げで磨こうとする。が

嫌がる。泣く。暴れる。

2歳といえどもその力は強く、かなりのパワー。これは将来が楽しみ。違うか。

羽交い締めの如く動かないようにして泣き喚きながらも歯を磨く。ほぼ強制。

終わるころにはどちらも
はぁはぁ⋯

よく子育て本に、声掛けしながらとかTVの歯磨きと一緒にとか諸々と書かれているが、うちにそんなバイブルは存在しない。

言葉掛け1つで相手の気持ちも変わるんだよなぁと頭ではわかっていても口から出るのはちくちく言葉。
頭でもわかっていないのかも。

日々、反省と挑戦です。

2025年3月5日水曜日

古き良きもの

学生のころから公衆浴場、いわゆる「銭湯」の魅力に恋焦がれています。

当時、築50年くらい?の風呂なしアパートに住み、体育会運動部(アメリカンフットボール)に所属していたので、1日の疲れを癒す、そして翌日に疲れを残さないような努力が必要だったのです。部室脇にあったシャワールームではやはり物足りなく、そこで通い始めた(風呂なしだったので行かざるを得なかった)のが近くのお風呂屋さん、つまり銭湯。

高い天井と広い湯船、そして誰かしらがそこにいて同じくただ黙々と湯に浸かっている。東京にいながらも、俺は1人じゃないんだって再確認させてくれる場所でもありました。

そんな銭湯がいま、関東のあちこちで閉店を余儀なくされているそう。

ある店はボイラーの故障、ある店は店主の高齢を理由に、ある店は土地契約満了による立ち退きで。

私の学生時代のホーム銭湯の二子玉川の新寿湯、野沢の野沢ランド、上馬の明の海、桜新町の鶴巻湯、全て閉店されています。

昨年ふらっと寄った品川の旭湯も今月末で閉めるとか…

明日への生きる力をくれた銭湯がことごとくなくなってゆく。家の湯船では味わうことのできない銭湯という万人癒しの空間を守りたい、そう思う今日このごろでした。

2025年2月27日木曜日

無題

寒波が去ったあとの普広寺

柏崎はここから雪どけが早いです。

和尚のおもう、葬儀とは

おはようございます(_ _)

いつぶりの更新でしょうか…

先日のご葬儀にて、よいお話しをいただきよい戒名を授かりありがとうございます、と参列の方から言っていただきました。

引導を渡す役割を担う和尚としてこれほどありがたい言葉はありません。

自分が思い考えてお付けした戒名が、その時点で他者からみて良いかどうかはわかりません。

事前の施主さんとのやりとりや故人の生前の聞き取り、その後の対応の一言ひとことが、その戒名に「想い」を付与していくことがわかりました。

なので、仮に別々の住職が同じ戒名を付けたとしてもそれぞれの和尚の言葉掛けによって、とても良い(成仏に値する)戒名となるのか、そうではないのか、違ってくるのです。

「成仏」とは、参列する側が一方的に故人に祈ることではなく、故人もまた、参列の方々の成仏を祈っているということ。

自分には両親がいて、その両親から生まれ、その体を自身でむやみに閉ざすことなく、また、他人の生も閉ざすことなく円満に終えていくことを目指す。そのことを、自身の命を活かし切って今日去っていく故人とのご葬儀で誓う。
これが山寺の和尚が思う葬儀の形です。

失敗や至らないところ、ズルい部分も自身の中にあることを自覚しつつ、今日も丁寧に過ごしたいと思います。


画像は大雪の最中、2月半ばの当山本堂前です。

2024年8月1日木曜日

盆うち

本日当山盆うち

ラジオ体操終えて本堂前の掃除をしてくれる長女。感謝。

今日も暑くなりそうですが、水分塩分を摂って頑張ってまいりましょう。

合掌