2025年9月5日金曜日

布施

仏教には「無財の七施」という考え方があります。

金品や形のあるものだけではなく心や笑顔も布施行のひとつであるのです。

ついさきほどのこと

仕事のため、こどもの保育参観を早あがりして徒歩で帰宅途中、通り雨が降ってきました。傘を持たずだったので、ざっと降ってくる前に帰ろうと足早に歩を進めていると後ろから軽トラが来て止まりました。

誰かと思ったら同じ町内のおじいさん。

おい、乗ってけや!
いいからいいから!

と、運転席からドアまで開けてくれ、招いてくれました。誘われるままに乗り、俺もいまお寺のことで配りもん回ってたんだわと話しつつもすぐにお寺に到着。Uターンしてすぐに帰っていきました。

雨はすぐに止み、雲の隙間からまた晴れ間が出てきました。

これはいい布施を受けたなぁとしみじみしました。

人の親切は素直に受け取るものだ、と言われるけど、その行為が打算的であったり、見返りを求めるものであれば、それは布施ではなく貸し借りの世界。

布施はその先に執着をしない「しっぱなし」の行為です。


この気持ちを忘れないうちに書き殴りました。

2025年8月28日木曜日

無題

世界が認めた

とか

全米が泣いた

とか

名のしれた誰々が監修した

とか

そんな商品や宣伝を鵜呑みにすることなく


「私が納得した」


これに限る。


大事なものや大切な人は思いのほか近くにいたり、あったりするのだと思う。


2025年8月23日土曜日

ごめんなさい、は相手への謝罪と自分への許しの効果があると思う。


悪いと思ったら、悪かったと思っていたら、時間が経ってもいいから、謝ろう。


子どもにきつくあたったので、その時のことを謝りました。

2025年5月31日土曜日

モミジとスギナ

先日、2歳をすぎた末っ子と外遊びをしていました。

そこで、自分の目線にあったモミジの葉っぱをむしったのです。紅葉の映えるお寺にしたい私は、えっちょっやめてー!とすぐに手を払ってしまいました。

その後地面に生えているスギナ(つくしの一種で緑色のひょろひょろしたやつ)取りを何の気なしに始めた私ですが、そこでハッとしました。

子どもは目の前の物事に善悪つけずに興味や好奇心で触れたり試したりする。

大人(様々な経験をした人)はどうだろう。

これは悪いもの、これは良いもの。
つまらないもの、楽しいもの。

良し悪し、損得、上下…なんでも優劣をつけて分別してしまう。

もう少し別の言い方で子どもに伝えることができたのではと痛感した出来事でした。

2025年4月18日金曜日

今月の坐禅会について

26日の19時より予定していました、今年度初回の坐禅会は諸事情により【中止】とさせていただきます。

ご予定いただいていた方々には申し訳ありません。

普広寺 住職 合掌

2025年3月14日金曜日

お茶飲み話

子どもにも自分が認められたいという欲求があるんです。優しい言葉で接してあげれば自分が大切にされているんだなということを覚えます。

どうか愛情を注いであげてくださいね。


門前のおばあちゃん宅にお茶飲みに行ってたくさん教えてもらいました。

救われました。
ありがとうございました。

2025年3月11日火曜日

供養の読経をあげました

東日本大震災から14年が経ちます。

同時刻に当山本堂にて読経供養を一巻。

うちの子どもたちも合掌礼拝し、焼香。

誰の身にも起こり得る自然災害や人災ですが、願わくは、私と私以外の全ての有縁無縁の方々が、無事に成仏まで生きることができますように。

普広寺 住職 合掌