お久しぶりです。
またしても、間が空きました。
また空くかもしれせんが、めげずに更新していきます!
今年は猛暑という表現では表せないほどに暑かったですね。みなさん、体調崩されていませんか?涼しくなるこの時期にガクッと不調になることがあります。私もそうです。
よく噛んで、しっかり寝て、笑って、体調管理に勤めていきましょう!
今年のお盆の棚参りでは異常な暑さもあってか、お茶やアイスコーヒーを出してくださる檀家さんが多かったです。その度に私も話し込んだりするものですから、時間は押すわ押すわ…
例年通りの時間に待っていてくださった方々、申し訳ありません。
さて、棚参りでの、とあるお宅でのこと。
90歳に近いおじいさんが一人でお住まいのお宅。先々代から受け継いだ植木をご自身も手をかけてこられたそう。しかし、自分の代でもうかまってくれる人がいなくなるとのこと。
そこで、お寺さんどれでもいいから好きなのを持ってってくんなせぇ、と。
野菜もうまく育て上げられない自分です。もらっても枯らしてしまうかもしれませんと告げると
枯れようがどうなろうがいいんだ、ただおらが元気なうちにもらってほしいんだ、と。
そういえば去年も別のお宅で、たくさんの掛け軸や絵画をお寺にご寄付いただいた。
そんなことから、ふと思ったことがある。
お寺というのは永代にわたり続くもので、いろんな方の往来がある。そこに自身が大切にしてきたものを預かってもらうことでそのモノに対する供養になるのではと。
それまで自身が大切にしてきたものが自分の亡きあと、誰の目にも留まらずに朽ちていく、捨てられていく。そうであればお寺にもらってもらい、誰かの目に留まりそこで話に花が咲く。これはあそこの家のおじいさんからの寄付です、と。
その時、そのモノに故人の想いが宿る。
そんな想いを受け止めるのも寺院の大事な役目なのかもしれない。
譲り受けた植木はなんとか枯らさずに育てていきたいと思う。