先日のこと
長女が中々寝付けずに、ぐすんと涙ぐんでいる。
なんか自分が死んじゃった時のこと考えたら眠れなくなっちゃった、と。
齢 6 才。
もう生き死にのことを考える年なのか、とびっくりした。同時に、これはしっかりと話をする時期がきているなと思った。といってもよくわからないだろうけど。
きっと毎日が発見や驚きの連続で、それが楽しくて、でもその楽しみも死んだらなくなっちゃうというのが怖いのだろう。
アリも犬も猫も、パパもママも、いつかは死んでしまうんだよ。でも死ぬのを怖がりながら毎日を過ごすよりその時がくるまで楽しく生きれるといいね、と。
そうしたらにっこり笑って目を閉じた。
自分自身も小学校の帰り道、なんだか妙にむなしくなってどうせ死ぬなら何もしなくてもいいじゃん、生きる意味なんてないじゃん、と投げやりになったことがある。
でも今はそうは思わない。
生きること自体に意味はなくても、毎日に自分なりの目的をもって生きている。
「終わり」を意識することで人間はその時間を最大限に活用しようとする意欲がに高まる。ここでいう終わりというのは「死」も含めた節目のこと。
学生生活、子育て時期、旅行、何気ない一日…すべてが終わりのないものはないはず。
今日一日、何に腹を据えて生きるか。
お盆の時節、死を考えることはとても有意義なことである。