おはようございます(_ _)
いつぶりの更新でしょうか…
先日のご葬儀にて、よいお話しをいただきよい戒名を授かりありがとうございます、と参列の方から言っていただきました。
引導を渡す役割を担う和尚としてこれほどありがたい言葉はありません。
自分が思い考えてお付けした戒名が、その時点で他者からみて良いかどうかはわかりません。
事前の施主さんとのやりとりや故人の生前の聞き取り、その後の対応の一言ひとことが、その戒名に「想い」を付与していくことがわかりました。
なので、仮に別々の住職が同じ戒名を付けたとしてもそれぞれの和尚の言葉掛けによって、とても良い(成仏に値する)戒名となるのか、そうではないのか、違ってくるのです。
「成仏」とは、参列する側が一方的に故人に祈ることではなく、故人もまた、参列の方々の成仏を祈っているということ。
自分には両親がいて、その両親から生まれ、その体を自身でむやみに閉ざすことなく、また、他人の生も閉ざすことなく円満に終えていくことを目指す。そのことを、自身の命を活かし切って今日去っていく故人とのご葬儀で誓う。
これが山寺の和尚が思う葬儀の形です。
失敗や至らないところ、ズルい部分も自身の中にあることを自覚しつつ、今日も丁寧に過ごしたいと思います。
画像は大雪の最中、2月半ばの当山本堂前です。
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